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魅惑の西洋食器でテーブルコーディネートを

魅惑の西洋食器でテーブルコーディネートを

手紙の続き

## ラテン・アメリカの民族文化 ##

同じスペイン語でも地域差が大きいと云ったが、言葉以外の伝統文化、それは民族舞踊や民族音楽(フォルクローレ)に明確にその地域の特長が現れている。パラグアイにはガローパ・バラグアージャと云う8分の6拍子の軽快なリズムのこれぞパラグアイと云う音楽がある。ガローパとは英語の“ギャロップ”つまり“馬の早駆け”の意。この音楽をパラグアイ・ハープで奏でると不思議とパラグアイの世界となる。これは音楽の不思議さかも知れないが、バンドネオンのアルゼンチン・タンゴ、チャランゴやケーナのアンデス音楽、バイオリンとトランペットのメキシコ・マリアチ、そしてカリブや中米の音楽にはマリンバ(木琴の下に共鳴筒)が使われる。パラグアイには中南米で有名な曲が幾つかあるが、それをボリビアではチャランゴで、ニカラグアではマリンバで聞いてみたが曲のイメージは変化してしまい、音楽だけが残り、国のイメージが消えてしまう。ベネズエラ音楽もハープを使うがパラグアイのメロディーの方がハープに合っている様に思えるのは我田引水なのだろうか。そして各楽器はその地以外では場違いの様に聞こえる何か不思議なものがある。例えば中米でチャランゴやケーナは全くお呼びではないし、ボリビアの高地などではパラグアイ・ハープなどもお呼びじゃない。つまりその楽器の持つ響きがその地の気候風土と共鳴するのが不思議だ。ハープは元々ヨーロッパの楽器だし、チャランゴもマンドリンが変化したヨーロッパの起源だろうし、バンドネオンはアコーデオンの変形である。そう云う意味ではスペイン人とは芸術家だなとつくづく思う。ブラジルのサンバ、北米のジャズは黒人音楽、つまりアフリカの流れをくむのである。ニューヨークや北米では今若者達“サルサ”と云うリズムの激しい音楽の踊りに熱中しているがこれも北米のラテン・アメリカ人に生まれたものらしい。ボリビアには「クエーカ」と云う8分の6拍子の軽快に踊る民族舞踊があるが、チャランゴとケーナで踊ると楽しい踊りももの悲しくなる。それもそのはず、ボリビアのアンデス山脈に住む人々の夢と希望は何なのだろうと思う位もの悲しい地であるから、踊りもちゃんとその感じがでていると思う。パラグアイもボリビアも海を持たない内陸国である。南米大陸も広大であるから昔は陸の孤島であったに違いない。ボリビアのあの山奥に何故やって来たのと不思議でならなかった。それ故文化は他の地域の影響を受けない独自の発達を遂げたと思う。その点中米ではもうほとんど特長のないポピュラー音楽となってしまった。強いて上げれば「ボレロ」だがボレロとポピュラー音楽の垣根が見えない状態である。ボリビアもパラグアイも又ニカラグアも貧しい国である。気候が良く、永年作物のコーヒーが取れるニカラグアの方が幾らか豊かなのかも知れない。しかしパラグアイは土着の文化を守り、新しいスペインの文化を融合させて独自の伝統を築き上げている。それなりの独自性を感じさせてくれる。ボリビアも同じだが、ニカラグアは全く違う。烏合の衆と云えば言い過ぎだが独自性に欠け、アメリカに取り付く事ばかり考えている様な印象を受ける。

その点、コスタ・リカ共和国(ニカラグアの南)はニカラグア同様、資源も国土も小さく取り柄が無さそうに見えるが、永世中立国を宣言し、世界唯一、軍隊を持たない変わった道を歩み始め、なかなか好感の持てる国に成長しつつある。今、日本で定年退職後物価の安い海外に転居する人口が増えているらしいが、スペイン、カナダ、オーストラリアに次ぐ人気だとか。それを証明していたのが、日本では倒産したはずのスーパー・ヤオハンが首都サン・ホセに堂々と大きな店を構えていた事である。勿論中国人も沢山いるし、地元の人々も沢山利用している訳だけど、北米にいる日本人ビジネスマンの避暑地利用を見越して店を構えたりはしないと思う。日本人移民のいるパラグアイやボリビアにもない日本のスーパーがそんな所にあると云うのは、裕福な日本人が割と居ると云う事に他ならない。コスタ・リカは300万人位の人口で農牧業以外にこれと云う産業もない国なのに、500万人の人口を擁するニカラグアから何十万人と云う出稼ぎを受け入れているのである。首都サン・ホセはマナグアと異なり外国人旅行者も多いし、町中の道路も整備されていて、マナグアにはない立体交差もあちこちで見られた。これは何の差かと云えば、無駄の象徴である軍隊を持たない、永世中立国である事に他ならない。勿論日本の援助など入っていないのは、その必要がないと云うだけの事である。比較的裕福なアルゼンチンやウルグアイにも日本の援助は入っているのにである。ニカラグア国境から首都サン・ホセ(ちょうど中央に位置する)迄しか見ていないが、道路の舗装状態は多少いいかなと云う程度で、人口密度はかなり落ちる。工場があるわけでもない。多少牧場があったりするが、大部分、原生林だったり灌木地帯だったり山間部をジグザグに上がったり下がったりする自然ばかりだ。つまり無駄使いをせず、腐敗のない政治が行われているなと云う印象を強く受けた。走っている車の約半数はナンバー・プレートが付いていない。こういう現象はパラグアイ、ボリビア、ニカラグア、アルゼンチン、ブラジル何処でも見たことがない現象である。つまり腐敗がないので、付けないし、付けられないし、付けさせないのである。何処の国でも警察は腐敗している。ナンバーの付いていない車は警察の標的になる。よって如何なる手段を使っても、ナンバーを手に入れる事となる。ナンバー・プレートを発行する役所も収入が優先なので、車が盗難車であろうが、なかろうが税金を正式に納めた車か否か厳密なチェックなどしない。しかしコスタ・リカでは、どうも車の代金を全額支払い終わった証明書がなければ、つまり車輌税を納めていない車にはナンバー・プレートを発行せず、どういう支払い状況かをフロント・ガラスに表示が義務付けられている様で、正式な納税のチェックが厳しいと云う印象を受けた。ニカラグアからコスタ・リカへ車で行くには警察の許可証を双方の協定で求められているが、それをもらうのにも居住地の警察官(ヒノテペ)にお小遣いを払った。本来要らないものだし、要求もしないが、やらないと発行してくれないだけである。

ラテン・アメリカではサッカー以外やらないだろうと思っていたのは浅はかだった。ニカラグアではサッカーはやらないのだ。何と野球をやりプロ野球チームが存在していた。昨年、パラグアイでサッカー南米カップ大会が開催されたが全く新聞に取り上げないのには驚いた。ニカラグアが出ていないからではなく、サッカーに感心がないからなのだ。彼らに取ってアルゼンチンやブラジルは遠い地の果て。ましてやヨーロッパは尚更遠い。サッカー等で幾ら頑張ってもそんな遠い所でプレー出来るとは限らない。だったら庭先の大リーグを目指した方が良い。こういう発想と想像しているのである。南米では貧乏人が一攫千金を夢見てサッカーをする様に、中米では野球なんだ。ドミニカのサミー・ソーサなどが出現するものだから。


## ラテン・アメリカの政治・経済 ##

ニカラグアに8ヶ月滞在中だけで、現在アルノルド・アレマン大統領の不正が幾つ明るみに出たか。1)数百町歩の国有地を我がものにした事。2)その他に国費で5本のボーリング井戸を掘った事。3)国の施設で育てたコーヒー苗をその地に植えてしまった事。4)大統領の不正を取り上げた国家会計検査院長を更迭。5)大統領の近郊私有地農園までの道路を舗装してしまった 等々挙げれば切りがない程、たたけば幾らでも埃が出てくる始末。

昨年3月、パ国、副大統領アルガーニャ氏が暗殺されてしまった。実は持病の心臓発作による死亡だったのを、家族と副大統領派政治グループの陰謀で大統領派グループによる暗殺という芝居を打たれ、気の弱い大統領はまんまと引っかかりブラジルへ政治亡命してしまった。上院議長だったゴンサーレスが急遽、代理大統領に就くや、正式大統領を宣言し、アルガーニャの9人の息子、全員を新閣僚、その他国家の要職に就けてしまった。ゴンサーレスはアルガーニャの親戚である。

丁度、帰ってくる寸前、新聞にこんな記事が載った。「ラテン・アメリカで最も腐敗した政府はニカラグアとパラグアイ」。内の女房がニカラグアへ行く時、あちらに大使館がなくビザが取れないので、恐る恐るやってきたが、ラテン・アメリカの国同士では国交がないのに驚いた。なる程、貧しいラテン・アメリカの国同士では物の売買はないし、ましてや援助の授受など皆無だから、大使の交換は無駄な訳だ。なる程、国交とは正しく利害関係と学ばされた。つまり利害がなければお世辞も要らない。ハッキリ、ズバッと物を云うものだと反面あきれたものだ。他人の家は構わず、まず我が家と思うが、何時も「笛ふけど踊らず」。大統領叩きをやった所で、世論は何も云わないのである。長い物には巻かれろ、とは世の東西を問わず共通している。

かつてコロンブスは富を求めてインドを目指した。スペイン人達は一攫千金を夢見て新大陸へ渡った。ピサロは一夜にしてインカ帝国の金銀財宝、コルテスはメキシコ・アステカ帝国の財宝を手に入れた。カトリックのみならず、「望め、されば与えられん」という。彼等は奇跡を信じている。支配者も非支配者も政治とは人民の為とは思っていない。政治とは自分の為に行うのがラテン・アメリカなのである。それがコロンブス以来のラテン・アメリカでのしきたりと云える。

日本では70%の山間部のお陰で空間に余裕が出来ている。平野部の人口密度は脅威的と云えるだろう。日本の太平洋ベルト地帯の人口分布は経済発展のお手本と云われているが、ラテン・アメリカとの比較で一目瞭然となる。東京を含む関東一円の人口はおよそ3000万人らしい。それに匹敵するのがアルゼンチンだが、日本の8倍の国土面積。国境に垣根程度のアンデスは存するものの、ほぼ平地の国土は関東平野と比較すれば、実質80倍、若しくはそれ以上。つまり日本の80倍、物流に努力が要ると云う事だ。つまり日本のコストは安上がり、競争力があると云う事であろう。おまけに日本はベルト地帯だから、港があっちにも、こっちにもあるが、アルゼンチンはブエノス・アイレスに一局集中となる。内陸国には港すらない重いハンデとなる。兎に角ラテン・アメリカの発展は非常に困難と云う事だ。

ラテン・アメリカには南米共同体、アンデス共同体、中米共同体と三地区に分かれて経済共同体グループが結成されているが、各国の経済状況がそれぞれ大きく異なる為、何処も機能していない。例えば、南米共同体は、伯国、亜国、パ国、ウ国の4国、大国の様で、一番貧しい伯国が自分だけ漁夫の利を得たいものだから、何も変わっていない。本来経済自由協定とはEUの様に、人も物も流通を自由にするというもの。一億人の貧困層を抱える伯国に物も人も自由に入ってきたら、その貧困者達はどうなるの。亜国にあの一億人の伯国貧困者達が入ってきたら、どうなるの。南米の政治、経済に通常の理論は適応出来ない。

日本に帰ってくると、途端に国際ニュースが聞けなくなる。国内ニュースが多いと云うだけではなく、一番感じるのはやはり、国際感覚の欠如だし、番組内容からして、余りにも視聴者を低俗と見なし過ぎている。あちらでは特ダネニュースに限らず、国際ニュースを各国に特派員を置いている分、満遍なく伝えるし、ニュースとは世界を知らせる事と思っている位だ。NHKは視聴料を取る以上、娯楽番組ばかりに金をかけず、国際ニュース報道に金をかけるべきだね。アメリカは勿論、ラテン・アメリカの国々にも日本のニュース報道感覚は劣っていると云わざるを得ない。経済力には似合わない国際感覚の欠如と云うこのギャップはいったい何処から来るのだろう。今やアメリカには常時、一万人を越す留学生を送り出し、年間、1000万人を越す人口が海外に旅する時代に、旧態依然としておられる感覚が理解しがたい。

日本を離れると美しい日本ばかりを思い出し、帰ってくると、目の前の塵、ゴミが見えてしまうと云う事だと思う。何時も視点を切り替えて見る癖が付いてしまった。

伝えたい事はもっと一杯あるように思うが、文章力の無さでうまく書けなかった。
ブラジルは国土が広大すぎる事、貧困層も多すぎるので安住しにくい。アルゼンチンは白欧主義で黄色人種は爪弾きされる国。ボリビアは作物も育たない生きた心地がしない国。中米ニカラグアの無秩序な政治には閉口だし、気候が良すぎる。「過ぎたるは尚、及ばざるが如し」である。過疎で、今後の経済発展はなかなか難しいものの、均一的人種構成で親日的、一番住み良い国あろう。老後は日本には住めないので、子供のいる国で原住民(インディオ)の地位向上に繋がる人類に貢献するのが、私の務めと思っている。子供が大きくなり、一層負担の増大ではあるが、親の恩を子に返すだけである。

2000年3月15日 東京にて


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